エールフランスは、1969年新ユニフォームのデザイナーにクリストバル?バレンシアガを指名した。秋冬用のユニフォームは、ネイビーのツイル製で、ノーカラージャケットは、胸や袖にフラップ付きポケットを配し、機能性を強調。ふくらみのあるタイトスカートはバレンシアガ独特のポケット位置。第二次世界大戦前のCAのユニフォリモワ RIMOWA Topas Gold 914.38/91438 Beauty Case トパーズ ゴールド ビューティケース 17L スーツケース キャリーバッグ ゴールドームは、軍服から発展したものだったが、戦争のイメージが遠ざかるに連れ、エレガントな女性の表現に変化していった。ところがバレンシアガは、むしろ軍服を彷彿するマニッシュな雰囲気を醸し出すスーツと帽子、ブーツで颯爽と歩く、知的な女性のスタイルを表現した。春夏は、ペールピンクとペールブルーのダブルブレストの半袖スーツに衣替えした。ベイスボールキャップを思わせる帽子にも、モダニズムを感じさせる。
ココ?シャネルは「彼だけが本当のクチュリエ」とバレンシアガについて語っている。それを裏付けるように、1968年の「五月革命」を期に、プレタポルテへの気運が高まることを知ったバレンシアガは「プレタポルテを手掛けるには、私はあまりにもクチュールを知りすぎている」との言葉を残し、メゾンを閉じたのだ。つまり、1969年に手掛けたエールフランスのユニフォームは、クチュリエとして最後の仕事となったと言えるのだ。スイヨ氏によると「バレンシアガの起用は、社内では賛否両論でした。プレタポルテによるファッションの民主化が進んでいるときでしたから、時代に逆行するのではないかという意見も多かったのです」。結果的には、70年代へ続く自立した女性のイメージを打ち出す象徴的なスタイルとして、美しいユニフォームの一つになった。
三原さんのお話を伺っていると、日本の伝統工芸には薄日が感じられます。さらなる発展のために、取り組むべき課題は何でしょうか?現状を言えば、伝統工芸が衰退しつつあることも確か。後世に継承していくため、若い人材を育てていくことが大切だと思います。経済産業省は、消費を促すためにマーケットへのアプローチを積極的に行なっていますが、将来、産業を支えていく学生への啓蒙活動にも力を入れるべき。産業と教育は密接につながっていることと改めて認識する必要があります。日本の伝統工芸を学びたい外国人も積極的に受け入れ、労働力を確保することも一案でしょう。
演奏はデザインチームのバンドによるものだった。ビートルズへの愛は、ついに自ら演奏するという形に帰結したわけだが、これは賛否両論あって当然だろう。彼らの演奏を聞くのは2度目だが、学園祭レベルの演奏はパーティーの場では心地良くても、ショーの場では集中を削がれるだけだった。それでも、あの頃への憧れからの卒業パーティーとしては上々だったのではないかと思う。次は過去ではなく前に進む熊切のクリエーションを見てみたい。最後に、長らく東京メンズを牽引し続けている「ファクトタム」について言及したい。有働幸司の関心を惹いたのは、童話作家のハンス?クリスチャン?アンデルセンの「絵のない絵本」。アンデルセンの作品の中では珍しく33話の短編集になっている。ある貧しい少年が、画家を目指して都会に上京。当然さびしいわけで、月が夜な夜な話し相手になってくれるという童話がコレクションのベースになっている。ショーは2部構成で、前半はルームウェアを街着として着る提案で、後半はその上に旅に最適なアイテムを羽織るスタイルだ。
序盤はとにかく着心地が良さそうで柔らかそうな優しい服を並べた。男らしいというよりは、童話の主人公のような少年ぽい感じ。主役はパッチワーク風のニットジャケットや、落ち感のある素材のガウン風コートだ。中盤になると少年が一皮剥けて大人の階段を登り始める。「可愛い子には旅をさせよ」とはよく言ったもので、リラックスウェアの上にトレンチコートやチェスターコートを羽織った少年は、表情が格段に引き締まって見える。全体的なアイテムの完成度は高く、これまでにない落ち感のある素材やしなやかさを感じさせるクリエーションに挑戦しているのが、惜しむらくは有働自ら手掛けたスタイリングが単調にすぎる。「様々な新しいことに挑戦した」と話す有働だリモワ RIMOWA SALSA BLACK サルサブラック Jumbo Trolley ジャンボトローリー スーツケース キャリーバック Black ブラック 851.77/85177 104Lが、リアルクローズでショーを見せることにこだわってきたファクトタムにとって、スタイリングの重要度は他のブランドよりはるかに高い。そのキモの部分を自ら手掛ける必要はなかったのではないか。
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